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社会活動

社会活動について

コンプライアンス・環境への取り組み・社会貢献

代表者 北川 博 ごあいさつ
皆様方には平素より、弊社の取り組みである「環境への取り組み/社会貢献活動に御理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。

1987年(昭和62年)街から「暴力団追放」をする運動を始めました

指定暴力団山口組系組長が地元建設業者と手を組んで、八尾市等の公共工事に介入してきました。私は、暴力団員をはじめとする反社会的勢力の排除活動を積極的に推進致しました。
1991年(平成3年)12月、私は2人組に、八尾市庁舎の駐車場にて白昼(午前10時)襲われました。命は助かったものの、金属バットで右脇腹に一撃をくらった為、後遺症は未だ残ったままです。

襲われても更に、「暴力団追放」活動を諦めませんでした。
再度、私を暴力団山口組系・組員等が襲ってきたことから、大阪府警本部に被害届を出し、直系組長等は逮捕され、結果組は解散となりました。
旧八尾市庁舎にて1988年(昭和63年)
マイクロバス・街宣車購入
1994年(平成6年)新八尾市庁舎にて

猛毒ダイオキシン追放の活動をはじめました

八尾市では、は昭和40年から高安山の麓で造園、解体業者等は廃材を野焼きし、なかには暴力団関係者もおりました。人口の35%もの住民が30数年間日夜、24時間煙公害で苦しみ公害問題が深刻化となりました。

八尾市は昭和50年ごろに野焼き禁止条例を制定しましたが、一向に効果が無く、高安山の麓では約100軒もの業者が一日中野焼きをし、外環状線は煙で運転者は前が見えず、事故も多発する事態にまでなりました。
野焼き追放バス
私に何度も地元住民からの要望もあり、昭和50年から野焼き追放のパトロールを致しました。私は、当時の内閣総理大臣であった中曽根氏へ直接「屋外での焼却行為禁止」の法案を提出しました。
2006年(平成18年)指定暴力団山口組系最高幹部の八尾市人権安中地域協議会・理事長が安中解放会館を占有し、八尾市政に介入を始めました。更に、公共工事業者等を脅し、金銭を要求します。逆らうと、私の自宅に深夜火焔瓶を投げられ放火されました。暴力団山口組、同和行政を利用したこの者たちは、大阪府警本部に逮捕されることになり、私が1人検事証人として、大阪地方裁判所で証言しました。首謀者は実刑判決となり、これらの組合組織は壊滅しました。

2007年(平成19年)青色防犯活動を実施

大阪府警本部より「自主防犯活動を適正に行える団体」として認証を受け、青色回転灯を装備した車両にて防犯パトロールを実施しています。児童へのいたずら、ひったくり、空き巣等の犯罪阻止に日夜、私たちは取り組んでいます。
青色防犯パトロールカー
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